新年度を迎え、心新たに挨拶申し上げます。院長の大友康裕でございます。
院長を拝命してから、丁度1年が経ちました。この1年間、無事に責務を果たしてくることができたのも、ひとえに地域の皆様、医療関係者の皆様、そして私どもの病院を信頼し支えてくださった全ての方々のおかげであると深く感謝しております。
昨年度は、新型コロナ感染症の患者様を受け入れつつ、通常診療の回復を順調に進めることができました。コロナが一般の感染症の扱いとなりました現在、コロナ以前の地域医療機関との連携を回復させ、「いままでも、これからも。みなさまに愛される病院」として、地域の皆様にとって最も頼りになる存在であり続け、地域医療のために貢献することが、当院の使命であると認識しております。そのために、地域医療連携室を通じた従来の紹介システムを維持しつつ、より地域の医療機関の先生方に寄り添うために「プライオリティコール」という救急科の医師が直接電話に出るシステムを整えております。紹介の判断(今日が良いのか、明日で良いのか?)を迷う際や、診療の終わりに近い時間に来院された患者様の対応など、診療上お困りの事があれば、いつでもこのシステムをご利用いただけます。「こんなことで電話して良いのか?」とお考えにならず、どうぞお気軽にご利用ください。
災害医療に関しては、東京都基幹災害拠点病院として常に体制整備を行い、また日本DMAT隊員61名を擁しており、派遣体制も整えております。本年1月1日に発生した能登半島地震に対して、1月2日に最初の医療班を派遣し、延べ13チーム41名を、DMAT・DMATロジチーム・国立病院機構医療班として、石川県庁、七尾市、輪島市などに派遣し、医療機関・避難所・老人施設への支援を行いました。地元の被災者や自治体の方々から感謝頂き、災害医療センターとしての責務を果たすことができました。病院職員の積極的な取り組み、献身的な働きに感謝致します。
今年度も、病院職員一同、患者様一人ひとりに寄り添いつつ、専門性の高い高度急性期医療を迅速かつ的確に提供して参ります。変わらぬご支援とご協力を賜りますよう心よりお願い申し上げます。
2024年4月1日 独立行政法人国立病院機構 災害医療センター
院長 大友 康裕
令和5年4月1日付けで、病院長を拝命しました大友康裕でございます。
当院は、阪神淡路大震災、東京地下鉄サリン事件が発生した1995年の7月に開院致しました。私は、この病院の開設と同時に設置される救命救急センターの立ち上げに、医長として関わらせて頂きました。北多摩西部医療圏で唯一の救命救急センターであり、地域の救急医療の最後の砦としての役割を果たすべく救急診療体制整備に尽力させて頂き、東京都内の救命救急センターで、最も高い受諾率を達成し、また厚生労働省の救命救急センター充実段階評価で、全国第一位の評価を頂く事もできました。その後、2006年に東京医科歯科大学に赴任し、救急災害医学分野教授として17年間教育・研究・臨床に従事させて頂き、本年当院に復帰いたしました。改めまして、どうぞよろしくお願い申し上げます。
当院は、「いままでも、これからも。みなさまに愛される病院として、多摩地域の医療をみまもり続けます。東京・北多摩西部医療圏に根ざし、救急診療とともに一般的な総合診療をみなさまにご提供します。」をスローガンに、北多摩西部医療圏にとどまらず、多摩医療圏のみなさまに、救命救急センターを有する高度総合病院として、良質で高度な医療を提供致します。地域のみなさまならびに診療機関の先生方には、是非、当院をご活用頂きたいと思います。当院の登録医の先生には、C@RNA(カルナ)システムを活用頂けますし、また電話での診療依頼の方が良いという先生向けにも使い勝手の良いシステムを準備致しますので、よろしくお願いいたします。
当院は、東京都基幹災害拠点病院として、東京都の災害医療体制にも貢献しております。私自身も東京都災害医療コーディネーターに任命されており、万が一、都心で直下地震が発生した際は、多くの患者の収容のみならず、立川広域防災基地に設置する医療機関として、広域医療搬送拠点・全国からのDMAT参集拠点として、最大限の機能発揮が求められております。当院の日本DMAT登録隊員数は全国で群を抜いて多く、大規模災害時のDMAT派遣には、大いに貢献(特に発災直後)する事が求められております。立川広域防災基地の各機関(陸上自衛隊立川駐屯地、警視庁航空隊、東京消防庁第8方面本部・航空消防救助機動部隊、内閣府災害対策本部予備施設)と平時より連携を深め、万全の準備をして参ります。
みなさまに愛される病院として、引き続き頑張ってまいります。
2023年4月1日
独立行政法人国立病院機構 災害医療センター
院長 大友 康裕